現在ではようやくエシカルを唱えて堅物ということでもないと見られるようになった気がします。
CSRなどがの普及がそうさせているのかもしれません。
商業上では儲け優先で、エシカル優先では商売が成り立たないという考え方がありました。
現在もまだ優勢なのかもしれません。
エシカルについて思い起こしてみようと思います。
日本の戦時下の事例です。
太平洋戦争の終焉後、日本では大変な食糧危機があったそうです。
食糧の流通は無法地帯として闇市が横行していたそうです。
横行というのはもはや通り過ぎて、闇市を利用せずに生きていくことすらできなかったそうです。
こんな当時の状況を表現した逸話が幾つかあります。
『違法である闇市を頑なに拒み通した司法官が餓死した。』
『闇市を利用しなかった警察官の一家が餓死した。』
他のパターンもあるのかもしれません。
命に関わる状況が発生した場合には、臨機応変の対応をせよという意図があって語られるのでしょうか。
それが正しいとすればエシカルは無能になると考えます。
司法官や警察官が倫理や方を守るのは社会機能として当然であり、方を守る者や犯罪を取り締まる立場の者が率先してそれを破ると社会は無法となります。
このような行いをする者がなければ社会はさらに混乱して暴動などが起きていたかもしれません。
日本の治安が優れているところがあるとすれば、このように頑なに法を守る人が存在することが挙げられるでしょう。
では、これらの法を守る人たちの態度や行動はどのようにすべきなのでしょうか。
ここに出てくる必要があるのが本当の助け合いなのだと考えます。
そのように、秩序を守らなければならない人たちのために、社会が一段となって援助するしくみが必要です。
逸話や笑い話となってしまってはエシカルは成長していきません。