Baseballの乱闘シーンに見える持続追求行動

最近大リーグのニュースを定期的に見ています。

多くの人と同じだと思うけれど、やはり目当てはオオタニです。

今日も『ホームラン打ったかな?』と思いながら見ると…

やっぱり打ってくれたって思うのが嬉しいのです。

そんなベースボールですが、乱闘シーンという風物詩があります。

多くはデッドボールを当てられたバッターがカッとなって当てたピッチャーに威嚇または攻撃を仕掛けるというものです。

当てられた当のバッターとしては怪我とその後遺症、間違えば命の危機さえあり得るのですから真剣になるのもあり得ます。

ボールを当てたピッチャーが、行為について謝るのは最悪だとか。

ここは特に日米の違いが大きいです。

悪いことをしたと思えば謝るというのが日本人として謝罪の気持ちなのです。

しかし、謝るのなら最初からするなというのがBaseballなのだそうです。

命に関わる危険行為を行なっておいて…というのはなるほどなと気づくのです。

それにしても、Baseballとは、

時速160kmの投球を投げさせ、ほぼ無防備のバッガーが手の届く距離で待ち受けて打つという行為が恐ろしいと感じます。

野球というゲームが発明された当初はそんな豪速球を投げるピッチャーは存在しなかったことから、まあ安全だったのでしょう。

ボールが当たるかもというスリルもプレイの醍醐味だったとも思われます。

もちろんそれは現在も更に増した醍醐味として捉えられます。

観衆としてはハードパンチャーのボクサーのような効果を感じるのかもしれません。

競技をする選手はその危険を承知の上ゲームに参加している訳なのですが。

さて、話題はデッドボールなどの戦闘場面なのですが、

やられたらそれなりの応酬があるぞという威嚇としての効果があります。

抑止ということになります。

日本には3度やられたら許さんという考えがあります。

現在は2度ということが多いかもしれません。

いやいや1度というのが圧倒的に多くなっているかもしれません。

命に関わる行為、『1度たりとも許せん』となるのがよく分かります。

それでも威嚇だけしかしていません。

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