差別の原因のひとつ

人種差別だとされるこうどうが時々ニュースになったりするのが気になります。

私は海外に行くことが現在ないので肌で感じることはできないのですが、気になることがあります。

例えば、米国でアジア人を差別しているとかいうものです。

私はアジア人ですのでそれに該当する一括りだと思います。


現在は、世界情勢にとって、戦争がその話題性の中心にある中で、なかなかそのようなことがらはクローズアップされていなくなっているかもしれません。

話題は、ロシア大統領府に関する批判や誹謗が飛び交っています。

このロシアの状況は、日本人も太平洋戦争中には経験したのと同様なことだと思います。

いえいえまだまだ差別的態度を受けるということだけではなく、攻撃もあったことと予想されます。

パールハーバーを経験した米国人の感情は極度に達していたことでしょう。

米国に住む日系人は隔離されたということもあった様です。

米国への忠誠心を示すために、第一線への参加を余儀なくされたということもあったとか。

母国への愛を持ちながらも、身を引き裂かれる思いで米国軍の協力を決意した人も多かったことかと心打たれます。

ここ数ヶ月間、現在では欧米にとって日本は友好国だと思われます。

なぜなら欧米がロシア、中国を敵国とみなすと日本は友好国に置くことが好ましいと考えているからです。

それによって得られる日本人への好感度が得られるからです。

それを日本人としてどの様に捉えるのか。


実はこの記事を書こうと思ったきっかけは、米国大リーグのことが気になっているのです。

日本人野球選手が活躍しているのです。

実際のところ、というよりも本当のところ米国人がどの様な評価をしているのかは想像にまかせる他ありません。

私が焦点にしたいのは、日本人が現す次の様な発言や態度です。

(あくまで例えばアジア人差別があるとして)

大活躍した反応として公然と『日本人の誇りだ!』などの発言やプラカードの露出。

『ベースボールの神様よりも優れている』という比較。

これは線引きした手前、つまり自らの存在する側の賞賛であると共に、

相手側へは優越感を表現していると捉えられてしまいます。

もっと言えば、当の本人の意識にはないことと察しますが、無意識に優越感を感じたいという欲求から同期づけられているものと考えられます。

つまり、アジア人差別の原因とするものを自ら作っているということです。


発展途上国が、国民意識高揚のために行う行為や態度ならば好感を持たれる場合もあります。

日本においては、戦後からの立ち上がり期、昭和の東京五輪の入賞などがこのケースです。


日本人でもその点について気にしながら話している人は居ます。

ある報道番組では次の様な会話がありました。

ゲストコメンテーターが、『この様な大活躍は、日本人としての誇りです』

司会者は同意に困惑しながら、『人類の誇りですよね』と重ね直していました。

人類の誇りという表現を使うとだれとの比較にもなりにくいので反感を買うことはないと私は思います。

米国の報道においては、良く耳にする表現方法があり、この表現に好感を持っています。

『彼は、この100年の中で、最も優れた選手のひとりだ』

というものです。

この表現だと具体的な比較の対象者は現れてきません。

日本的に見ると意味が少しおかしい表現なのかもしれません。

しかし多くの人の感情をさかなでることはないと考えます。


比較というものは無意識であっても優劣をつけてしまいます。

人間社会において、比較は差別の基にあると感じています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です